べーたろ’s diary

福岡大学 商学部 経営学科 3年

ゼミ活動【哲学にふれる】

こんにちは!

最近は蒸し暑くて外に出たくない、

梅雨が早く終わってほしいと心から願っているよこべです!

 

今回はゼミで哲学というものに触れてみて、

もう頭の中は???しかありません。難しすぎ、、

論文の教室を参考に読み進めました。

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内容が難しくて正直3,4のように思えるほど理解できてない気がします。

メウロコは自分の言葉では確かにそうだなと気づかされた部分と捉えてる気がします。なるほどそうだったのかと変わらないかもしれませんが、、

 

A.B.C.D.と4つに分かれているのでそれぞれ、自分なりに解読したつもりで、

感じたこと・考えたことについて書いていこうと思います。

 

テーマは~差別感情~

 

【A】悪意は人を鍛え、かつひとを滅ぼす

差別は、人間の中の悪意に基づくからと言って心の中に住む悪意をすべて消去していいのか。という問い。

 

私は差別をなくすためには悪意を消去するのが当たり前だろうと思ったが、読み進めていくうちにそう簡単なものではないと気付いた。

 

メウロコと感じた部分

  • 文化は、自他を攻撃し破壊し、他人を排除し抹殺し、他人に嘘をつき騙したぶらかし利用するところに、ある集団を尊敬し別の集団を軽蔑するところに成立する。
  • いかなる敵も存在しないところには、いかなる味方も存在しない。
  • 攻撃衝動を断ち切ると同時に人間の生活から消滅してしまうことになる。
  • 攻撃心を無批判的に受容し肯定するのは危険だが、無批判的に排除し否定するのも危険

上のことを踏まえてスゴドウと感じた部分

  • 自他の心に住まう悪意と闘い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること、こうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべき。
  • 悪意のうちにこそ人生の豊かさがある

 

悪意とはなんだ、、と何度考えても自分の言葉で説明できない。

でもAを読んでスゴドウと思えた部分を踏まえると

悪意はよくないものそう思っていたが生きていく上では必要なもので、すべて消去してはいけないと感じた。

 

【B】快・不快を統制する社会の恐ろしさ

  1. 個人の快・不快を統制してはならない
  2. だが、不快の無制限の活路を許してはならず、何らかの統制をすべきである。

この対立に我々はいかに行為すべきか。

 

メウロコと感じた部分

  • 他人から自分が不快であると明言されたくなく、それを明瞭に示す振舞いもされたくない。さらに他人に不快に感じられたくさえない。
  • 自分に対して不快であったがそうでないように振舞っていたことを知ったとき、肩を落とし悲嘆にくれ、自分の馬鹿さ加減を呪い、彼らを激しく憎むだろう。

スゴドウと感じた部分

  • 差別感情の一つの考えとして、ある社会的劣位グループの構成員をその構成員であるがゆえに一律に不快にうという感情を差別感情とすること
  • 差別に関して社会党性が厳しくなればなるほど、こうした内的制裁としての感情統制も厳しくなる

 

Bを読んで不快なことを隠し振舞うことは自分にとっても相手にとっても得することはないと感じたが、すべてを露わにすると個人同士もグループ同士も関係は保っていけない、、だから、Aの「自他の心に住まう悪意と闘い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること」が大切になってくるのかと気づいた。

 

【C】帰属意識アイデンティティ(自己同一性)

メウロコと感じた部分

  • アイデンティティを確立したものの多くは、自分の属している集団を「愛して」いるのであろう。
  • 郷土を誇るのに自分が生まれた「主観的理由」は簡単に消去し、「客観的に」素晴らしいと言い張る。
  • 家族の愛に包まれることが、すべての幸福のうち最大の幸福と信じ切っている
  • Cの後半部分の自分たちを正統派だと確認しあうという部分から最後まで。

 

「あなたはすでに潜在的加害者である」

はっとさせられた気分になった。自然と正統派だと主張しているし、自己批判精神は完全にないし、自分の傲慢さを自覚できていない。

当たり前に地元好きでしょ、家族と幸せでしょ、と思っていた。

表に出ていないだけで正反対に感じるひとも多くいるはずだと気付けた。

 

【D】「よいこと」を目指す態度

メウロコと感じた部分

  • 差別意識をもたないことが不可能であるのは、小学校のころから「よいこと」を目指すように教え込まれているから

スゴドウと感じた部分

  • 制度による差別であれば、制度を解消することによって解消できるが、意識による差別の場合、その意識を変えることは最も厄介な相手を敵に回さなければならない。

 

優秀なA君と怠け者のB君のような二人を比べてしまうのは自然と教えられてきたことに驚いた。いつの間にか優劣をつけてしまっていた、これはよいことの教え込みから意識がそうなっているからだと知れた。

 

 

長々と時間をかけて書いてみたけど全然まとまらない(-_-;)

難しすぎる!!!

気づかされたことばかりで自分の意見がいるほど理解もできていない、、

次のゼミでの話し合いがとても楽しみです!!